【認知】SNS(m3の連載、X、YouTubeなど)→【関心】ホームページ・書籍(開業相談)→【初回】知人→【リピート】友達
【認知】SNS(m3の連載、X、YouTubeなど)
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【関心】ホームページ・書籍
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【初回】開業相談
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【リピート】友達
2006年 | 帝京大学医学部卒業 |
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2006年 | 国立精神神経センター国府台病院 (現、国立国際医療センター国府台病院) 臨床研修 |
2008年 | 国際医療福祉大学三田病院 勤務 |
2009年 | 新宿駅前クリニック開設 |
ホームページをご覧くださりありがとうございます。蓮池 林太郎(はすいけ りんたろう)と申します。
私の簡単な自己紹介としましては、1981年に両親共に医師の家庭に生まれました。
東京都板橋区で育ち、学生時代から開業医を目指し、帝京大学医学部を卒業した後に、28歳で新宿駅前クリニックを開業しました。
パソコンやスマホで病院を探すようになった時代の波に乗ることができ、1年後100人、2年後200人、3年後300人、5年後400人、ピークの2017年頃には、1日平均500人ほどの患者さまに来院いただいたこともあります。
しかし、企業が運営母体のクリニックや、土日・夜遅くまで診療しているチェーン展開しているクリニックなど含めた競合の乱立などにより、新宿は日本一の激戦区とも言われるくらい過当競争になってしまっていました。
現在はピークの頃の半分弱ほど、1日200人前後の患者さまに来院していただいており、新宿は家賃や人件費が高く閉院するクリニックも少なくなく、厳しい状況の中で生き残りをかけてどうにか頑張っています。
開業医人生を振り返ると、若くして開業して本当に良かったと感じていますし、開業適齢期とされる40歳過ぎて新宿で開業をしていたことを想像すると、恐怖すら感じます。
今現在は、クリニックを経営する傍ら、クリニック開業、クリニック経営、病院選び、婚活、生き方などの自分の興味のある分野について、ホームページで情報発信したり、書籍を出版したりしています。
バーベキュー | |
釣り | |
飲み | |
YouTube視聴 |
クリニック経営をしながら、2015年頃から開業志望の先生方の開業相談にも乗ってきました。
友人からの紹介だけでなく、書籍やホームページがきっかけでご相談くださる先生も多く、月に数人ほどのペースで直接相談に乗ってきました。
先生方の中には、分院・チェーン展開するまで大規模化している先生や、落下傘開業でも自分1人で年収1億円を超えるほどまで盛業している先生もいて、お手伝いをしたクリニックが成長していくことに、やりがいを感じる日々です。
開業にあたり競合となるクリニックを分析していくと、当然盛業しているクリニックと盛業していないクリニックがあるわけですが、最も大きな差となるのは開業場所の選び方であり、需要>供給の地域、競合が弱い、認知度の高い場所の3要素が特に重要であることをお伝えしています。
コンサルティングは事業としておこなっているわけではなく、趣味の範囲内になりますが、自分にとっても勉強になりますので無償でおこなっています。なお、現在は開業場所の選び方を中心に開業相談に乗っており、クリニック見学はおこなっておりません。
コンサルティング契約をしたり、どちらの会社からも紹介料やキックバックなどはもらわないようにしたりしていることが、他のクリニックコンサルタントとの違いでもあり、ウリかもしれません。
直接お会いして相談の受けるときには、下記の店内で待ち合わせして、和気あいあいとした雰囲気の中で相談に乗っています。
・新宿西口の居酒屋
居酒屋ふらっと
・新宿東口のお好み焼き もんじゃ焼き店
お好み焼き 鉄板バル ぎおんぼう
・新宿東口の食べ飲み放題のある焼肉店
七輪焼肉 安安 新宿店
高級店は嫌いでコスパ重視です。
お土産などは必要ありませんし、ラフな服装でお越しいただいています。
直接相談したい方はメールアドレスまでお気軽にご連絡ください。
〈問い合わせ先〉
・メールアドレス:
catdog8461@gmail.com
開業相談については、お断りも含めて必ず返信するようにしていますので、万が一、1週間以内に返信がなかったら、再度メッセージください。 、営業メールには返信しておりませんので、あらかじめご了承ください。
・なぜ、クリニックの開業相談を無償でやっているんですか?
私も開業前には開業医の先輩方に相談に乗っていただきました。恩送りという言葉がありますが、気軽に相談に乗ることにより、開業医の先輩としていいところを見せているつもりです。ちなみに、開業医の先生とは飲食代は割り勘してます。
・直接会わなくてもメールで相談できますか?
直接お会いすることなく、メールでのご相談もおこなっていますが、どうしてもメールだけですと文字やホームページに書いてある情報から類推する形となってしまい、ニュアンスが伝わりにくいというのもあるので、自分としては直接お会いする方がより嬉しいです。
・どのような医師からの相談が多いですか?
20代から50代くらいの先生方がほとんどで、女性よりも男性の先生が多いです。医学生、クリニックコンサルタントの相談に乗ることもあります。
開業医の先生やクリニックコンサルタントの友人などからご紹介による先生よりも、ご紹介なしで直接ご連絡いただいた先生の方がモチベーション高く開業医としては優秀な傾向にあります。
・どのような内容でメールすればいいですか?
皆さん悩まれるようですが、まずは肩の力を抜いてください。私としてはメッセージいただくだけで喜ばしいことですし、短文かつ最低限でかまいません。
私が事前に予習しておくこともあるため、お名前、どの地域で何科で開業希望なのか教えていただけると助かります。もちろん個人情報はお守りしており、第三者にメールアドレスなどが流出することなどもありません。
直接お会いしたい場合は、ご都合よろしい日時なども複数ご教示いただけますとありがたいです。私が店を予約してます。
・分院展開しないのはどうしてですか?
今でも全国チェーン展開する自信はありますが、医師の雇用が大変なのと、1クリニックだけで生活していく分には収入的に十分なため考えておりません。
一緒によく飲みに行く友人は知っていますが、学生時代とあまり変わらないくらいに、ローコストで生活しています。
・初めて会うので緊張するのですが、、
人見知りしない、お節介、柔らかい、初対面の人からは話しやすいなどとよく言われます。今まで開業相談の先生とお会いして険悪な雰囲気になったことはないですし、医局の先輩とかではないので、気楽にお越しいただきたいです。
・なにもメリットがないように感じるのですが、、
私(蓮池)にとって開業相談を受けることにメリットがないように感じる、なにか裏があるのでは?という質問も、打ち解けた先生からよくいただきます。
医療モールや内装工事会社に紹介料などもらうこともできなくもないですが、お金はもらわないようにしています。経済的報酬がない方がその先生にとって適切なアドバイスができる気がします。
開業について語ることが好きというのもありますが、医師にとって開業場所が決まるということは、引退するまでの働く場所が決まるだけでなく、住む場所、医師本人だけでなく家族がいたら配偶者や子供の人生にも影響を及ぼすことになります。私はその点にロマンを感じており、心理的報酬をいただいています。
・最近気づいた開業相談の隠れたメリット
開業相談していただいた先生の中には気が合って、定期的に私の趣味でもある飲みやバーベキューに行くなどしている友人もいます。
開業医をしていると新しい友人はなかなかできないものですが、勉強会や飲み会に行ってお互いよく知らない状況で仲良くなるのは、コミュニケーションコストがかかりすぎるとも考えています。
マーケティングとして捉えると
【認知】SNS(m3の連載、X、YouTubeなど)→【関心】ホームページ・書籍(開業相談)→【初回】知人→【リピート】友達
【認知】SNS(m3の連載、X、YouTubeなど)
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【関心】ホームページ・書籍
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【初回】開業相談
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【リピート】友達
ホームページや書籍を読んでいただき、私の価値観など知ってくださった上で直接お会いして、人生を幸せに生きていくためにホームページを運営しているということです。
● 『患者に選ばれるクリニック:
クリニック経営ガイドライン』
● 『なぜ、あなたは結婚できないのか?医者が教える幸せな結婚』
● 『クリニックは立地で決まる!
患者が集まる開業場所の選び方』
東京女子医科大学病院にて、1260gの極小未熟児で生まれました。
生まれてから何ヶ月も保育器の中で育ち、両親も大変心配したそうです。
当時は今ほど医療技術が発達していなかったため、「命の危険もあり、生き延びても網膜症などの後遺症が残るかもしれない」と言われたようですが、無事障害もなく育ちました。
祖母に育てられた幼少期
両親ともに大学病院(父は産婦人科、母は眼科)の勤務医で非常に忙しかったため、広島に住んでいる母方の祖母のもとで幼少期を過ごしました。
原子爆弾で実弟を亡くした話などよくしてくれた記憶があります。
約2年間のアメリカ生活
当時大学の医局員であった父のアメリカ留学のため、一家で渡米。4歳から6歳までの2年間、ワシントンで過ごしました。両親によれば、当時の私は英語を話していたそうですが、幼かったため覚えていません。残念なことに帰国したらたちまち話せなくなったと聞いています。
本当に辛かった中学受験中学受験に備えるためと、小学校4年生のころ塾に入れられます。母は大変厳しく、テストの点数が悪いと烈火のごとく怒りました。あまりの怖さに、答案用紙をマンションのゴミ箱に捨てる、トイレに流すなどして証拠隠滅を図ったこともあります。
兄は私と違って成績が良く、日本国内最難関と言われる筑波大学附属駒場中学校に通っていたため、「なんで同じように教育を受けさせているのに林太郎だけ成績が伸びないのだろう」と両親は悩んだことでしょう。
大嫌いな勉強を強制される辛さは、勉強のできる、勉強が好きな人たちには理解できるはずがありません。
私立城北中学校に入学なんとか四谷大塚偏差値55くらいの私立城北中学校に入学しました。このころの私は成績も良く、特別進学クラスでした。
選んだ部活はバスケットボール部。スラムダンクの影響をモロに受けていました。
高校に進学すると、それまで溜めていたうっぷんを晴らすかのように、親や学校の先生に反抗するようになりました。
ボクシングとバイトにハマる高校1年生のころからボクシングジムに通っていました。ちっとも強くはなれませんでしたが、世界戦に2度挑戦した東洋太平洋チャンピオンの三谷大和さんにかわいがっていただいたことは今でも忘れられない思い出です。
三谷さんには付き人をさせてもらい、プロの世界を教えてもらいました。
また、このころから高校を休みがちになり、アルバイトざんまいの生活に。コンビニの店員、ファミレスの皿洗い、カラオケの店員などさまざまなアルバイトをして、夏休みなどは20万円くらい稼いでいました。
カラオケのキャッチでトップに従事してきたアルバイトの中で特に力を発揮できたのは、カラオケのキャッチの仕事でした。社会人のキャッチと比べてもぶっちぎりのトップで、社員さんに「君は将来、大物になるよ」と褒められたこともあります。
アルバイトざんまいの高校生活を通じて、商売やビジネスではコツを掴んで戦略的に動くことが重要なのだと学びました。
高校2年生のとき中退しかけるも恩師に救われる進学校であったことから、学校を休む人はおらず、欠席の多かった私は完全に浮いていました。他のクラスの知り合いからは、「まだ高校辞めてなかったんだぁ」と皮肉を言われる始末です。
1年生のとき担任だった大庭先生が心配して毎朝のように電話を下さいました。夕ご飯をご馳走してもらったことも1度や2度ではありません。成績や出席日数などについて他の科目の先生と交渉してくださり、どうにか進級することができました。大庭先生がいらっしゃらなければ高校を中退していたかもしれません。
従業員が問題を起こすと、トラブルばかり起こしていた高校時代の自分を思い出し、世の中いろいろな人がいるから致し方ない・・・と自分を慰めています。
社会の厳しさを知るボクシングの付き人やさまざまなアルバイトなどの社会経験を通して、高卒で働くとなると、正社員になれたとしても高い給料は望めないこと、そのうえ仕事が限られてしまうということを学びました。
この経験と学びから「心を入れ替えて真面目に勉強しよう」と一念発起したのが高校3年生のときでした。
仕事に関する本を購入し、さまざまな職業について勉強しました。本を読むのが好きだったことから『小説家になるには』という本を読んで小説家になることを考えたり、カラオケのキャッチの成績が良かったことから不動産や証券会社などの営業マンになることを考えたりしました。しかし、そのどちらも、自分に向いているかどうかはわかりませんでした。
そののち、「人の役に立って、お金を貰えて、感謝される仕事」は医師以外にないのではないかという考えと、「お医者さんになったら女の子にモテるのではないか」という不純な気持ちから、医学部を目指すことに決めました。
予備校にも行かず、一人暮らしのアパートで孤独に勉強しました。自分なりの方法で勉強していたため、効率は悪く、成績が伸び悩んで苦しい時期も過ごしたものの、それでも現役で帝京大学医学部に合格しました。
帝京大学医学部に入学すればバラ色の医学部生活が待っている!
・・・かと思いきや、私を待っていたのは厳しい現実でした。
入学時、同級生は120人いましたが、留年せず6年間で卒業できたのは約半分の60人くらいでした。恐ろしく難しい試験で、毎年20~30人を留年させていました。
留年する人数は決まっているとも噂されており、皆も死に物狂いで勉強するので、本当に過酷でした。
ひとたび留年しようものなら同級生がいなくなり、年下の医学生たちと一緒に勉強することになります。そんな悲しい事態は何としても避けねばなりません。また、高校時代に挫折を味わった自分としては、これ以上、両親を悲しませたくないという気持ちでいっぱいでした。
留年すると、医師としての社会的信用、将来の稼ぎ、親兄弟や周りの人間からの信用、これらすべてを失ってしまうという強迫観念が私の心を支配しました。
過去問屋をして、情報のハブに医学部受験はあまりうまくいかなったので、どうしたら留年しないですむか考えに考え、考え抜きました。
医学部の同級生も同じように努力しており、記憶力がそこまで良くない自分には不利だとも考えていました。
そこで考えついたのが「過去問屋」になる作戦でした。進級できる人と留年する人の違いを研究し、過去問や資料を持たない人は留年する傾向があることを発見したのです。
医学部の授業では多くのことを学びます。覚えるべきことがあまりに膨大で、天才でもなければ全てを覚えることなどまず不可能。過去問や資料で勉強することが必須というわけですが、これらは当然、販売されていません。
そこで私は、家に業務用のコピー機を購入しました。先輩からもらった過去問をコピーし、入手しにくい過去問や稀少な資料を持っている有力な同級生に無料で提供します。その代わりに、有力な同級生から稀少な資料をもらうわけです。何人かの同級生を相手にこれを繰り返すうち、どんな資料でも揃えられるようになりました。
良質な資料を持っていたため、同級生は皆、私に優しくしてくれました。自分に資料が回ってこなくなると困るので、私に嫌われたくなかったのでしょう。
毎回こちらが提供する資料を受け取るだけの人とはだんだんと疎遠になります。逆に良い資料を提供してくれる人とは懇意になります。それらの資料があると本当に効率よく点数が取れるのです。毎年のように同じような問題を出す先生ばかりなので、いつも成績は上々でした。
留年することなく医師になれたのも、「過去問屋」「情報のハブ」に徹した努力のたまものと言えます。
開業医を目指した医学生時代医学部5年生、6年生となり、医師としてのキャリアを考える時期になりました。その点については、両親の影響が大きかったように思います。
大病院の勤務医よりも開業医の方が向いていることは自分でもわかっていましたので、医学生時代から開業すると決めていました。
初期研修には、さまざまな科目を勉強させていただける国立精神・神経センター(現 国立国際医療研究センター)国府台病院を選びました。その後、国際医療福祉大学三田病院の皮膚科で研修を受け、約1年クリニックで勤務したのち、新宿駅前クリニックを開業しました。
なお、開業する予定のある勤務医には、専門の異なる複数のクリニックで修業することをおすすめしています。大病院とクリニックでは医療機器が大きく異なりますし、クリニックによって患者層や診療スタイルが異なります。なによりも、決して院長には見せない従業員(看護師や医療事務など)の本音を知ることができます。
新宿駅前クリニックでも勤務医を募集しております。お気軽にお問い合わせください。
開業するにあたり、都内でオフィス街のある大きな駅を調査しました。
「新宿 内科」「新宿 皮膚科」などのキーワードの検索ボリュームから、医療ニーズがあることがわかっていました。また、周辺の開業医の先生方はネット対策に力を入れていて評判が良いものの、比較的高齢である点も大きな要素でした。
新宿の雑居ビル2階にある10坪のテナントにて、看護師なし、医療事務1名の状態で開業しました。
ただ、新宿を選んだ最も大きな理由は、新宿が好きだからです。世界最大の乗降客数を誇る新宿駅は、美味しい飲食店が多く、どこへ行くにも便利。現在も新宿に住んでいます。
初日は32人、5年目には1日400人が来院
開院初日は32人の来院がありました。あの感動は今でも忘れることができません。
「このまま順調に患者数を伸ばし、ゆくゆくは1日80人くらいの患者さまを診るようになる。そして70歳を過ぎたら引退して悠々自適な生活を送り、穏やかに死を迎える」
そのように考えていました。
「平凡かもしれないけど、それも自分の選んだ人生。素敵ではないか」と納得していました。
開業してからは当初の予想が大きく外れることになります。パソコンやスマホで病院を探すようになった時代の波に乗ることができ、1年後100人、2年後200人、3年後300人、5年後には、1日平均400人強の患者さまに来院していただけるようになり、ピークの2017年頃には、1日平均500人弱の患者さまに来院いただいたこともありました。
しかし、2010年代後半から続く競合クリニックの急激な増加、2020年のコロナ流行によってリモートワークが普及したことで、新宿駅周辺のオフィス通勤者数の減少に伴う患者数の減少などにより、現在はピークの頃の半分弱ほど、1日200人前後の患者さまに来院していただいており、新宿は家賃や人件費が高く閉院するクリニックも少なくなく、厳しい状況の中で生き残りをかけてどうにか頑張っています。
新宿駅周辺のクリニックだけではなく、ターミナル駅やオフィス街のクリニックは経営環境が悪化しているようで、そういった場所で開業している開業医の先生方からクリニックの経営についてよく相談いただきます。
これから患者数は減り医師数は増え続けるでしょうから、今後はより厳しい環境になっていくことが予想され戦々恐々としています。
開業当初は集患は順調でしたが、苦労したのは集患よりも人事。人の問題です。毎日のようにトラブルが発生し、勉強の連続でした。お陰で法律にも随分詳しくなりました。
現在では常勤医師5名と複数の非常勤医師を雇用し、働く忙しい人に役立つクリニックを目指して経営しています。
開業を目指している医師や開業医にノウハウを広めたく、クリニックの経営についても執筆しております。
2017年には、クリニック開業志望の医師や開業医向けにクリニック経営のノウハウ本を出版しました。
2021年には、「患者に選ばれるクリニック」と内容が重複することなく、 ネット集患(SEO、MEO、広告、口コミ)を中心に、事業拡大、労務トラブル対策など、開業医やクリニック経営にたずさわる方向けに出版しました。
今までに多くの開業医の先生から経営相談を受けてきましたが、苦戦しているクリニックには、ある共通点があることに気づきました。それは、立地の選び方を間違えているということです。
開業前の先生が立地の選び方を間違えて苦戦しないように、クリニックの立地戦略について執筆しました。
クリニックの立地に特化した書籍がこれまでになかったこともあり、2022年、クリニックの開業場所の選び方について書籍として出版しました。
ネットマーケティングの知識や経験を生かして、店舗のオーナーや店舗のウェブ担当者向けに、グーグル検索やグーグルマップで上位表示させるためのノウハウを書籍にしました。
また、医療関係者ではない方向けに、病院や医師の選び方の情報発信もおこなっています。
2020年には病院や医者の選び方の本を出版しました。
新宿という土地柄、性感染症患者さんをたくさん診療してきた経験を活かして、患者さん向けに性病の本を出版しました。
クリニックの経営が安定すると、次第に結婚について考えるようになりました。
あらためて周りを見てみると、結婚生活がうまくいかず離婚してしまった夫婦や、仲が悪くギスギスしている友人夫婦、結婚しても幸せな人生を送っていない知人が少なくありませんでした。
そうした状況は何としても避けたいと考え、自分の結婚のために婚活の研究を始めました。
その甲斐もあって私は良縁に恵まれ、2014年に34歳で結婚しました。現在は子どもが5人います。
幸せな結婚をするためには相手選びが重要です。婚活のノウハウを執筆しておりますので、ぜひ参考にしてください。
2018年には、書籍として出版することになりました。
5人の子供が成長するにつれて、住んでいた家が手狭になってきたため、妻の要望もあり戸建ての注文住宅を建てることにしました。
私は元々マンション賃貸派でしたが、家について情報収集し勉強した結果、今現在でも(4人家族であれば)家はマンション賃貸に住むのがベストと考えています。
多くの人にとって家を購入するということは、人生の大半をその家に住むことになります。
持ち家にはメリットとデメリットがあり、家や住環境に対する価値観の変化、転勤、転職、離婚などの様々なリスクがあります。
最も大きな時代の変化としては、人生100年時代においては人間は長生きするようになり、人間が寿命を迎える前に家が寿命を迎えることになってしまいます。家を購入することは非合理的なことだと思っています。
家の購入を検討している方は是非ご覧になってください。家を既に購入した方はご覧にならないでください。
私自身中学受験、大学受験でとても苦労しましたので、子供たちにはそのような経験をさせたくないという気持ちが強く、子供のために受験について勉強しています。
世の中には学習塾業界が発信する受験情報が溢れており、中学受験、高校受験、大学受験など、それぞれを目標にした学習塾があります。各段階で偏差値の高い学校に入るという部分最適となってはいるものの、就職という社会に出るためのスタート地点に向けての全体最適になっていないとも感じています。
無尽蔵に教育に時間とお金をかけることができるのなら別ですが、限られた資源を投入する適した重課金ポイントとしては、文系なら大学受験(学校が近くにあるなら高校受験も選択肢)、理系なら大学院受験とも考えています。
<さいごに>
クリニック経営、クリニック経営、病院選び、婚活、生き方、教育などの自分が興味のある分野について、良質な情報を発信し、価値観が近く気が合う人とネットやリアルで交流して、人生を幸せに生きていくためにホームページを運営しています。
クリニック開業について、直接相談したい方はメールアドレスまでお気軽にご連絡ください。