プロフィール

蓮池 林太郎Rintaro Hasuike

〈経歴〉
2006年 帝京大学医学部卒業
2006年 国立精神神経センター国府台病院 (現、国立国際医療センター国府台病院) 臨床研修
2008年 国際医療福祉大学三田病院 勤務/td>
2009年 新宿駅前クリニック開設
〈認定医・学会〉
日本皮膚科学会

自分の興味のある分野において、優秀な頭脳を持っている人間のアウトプットした情報を、ネットや本などを通じて収集して、自分のフィルターを通して、良質な情報をわかりやすくまとめています。

人と人が繋がることができる情報社会では、自分だけで物事を考える力よりも、優秀な頭脳と繋がって教えてもらう方が結果が出るため、情報収集する力が必要とされています。情報収集する力を要素ごとに分けると、優秀な頭脳を見極める能力と、実際に情報収集を続ける行動力が重要になりますが、その二つを意識して情報収集する力を磨いてきました。

良質な情報を発信して、読んでくださった方に少しでもお役に立つことができて、価値観が近く気が合う人と出会い、ネットやリアルで交流して、自分が人生を楽しく生きていくために運営しています。取材協力、記事執筆、講演会、個別相談も無償でおこなっておりますので、なにかお力になれることがあれば、お気軽にご連絡ください。

〈問い合わせ先〉

・メールアドレス:catdog8461@gmail.com

※ ホームページ内でアフィリエイトもおこなっておらず、情報商材を販売することもありませんので、ご安心ください。

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■ 蓮池林太郎の詳細情報

蓮池林太郎の詳細情報

生年月日:1981年8月3日

医療法人社団SEC理事長

新宿駅前クリニック院長

〈著者〉

● 患者に選ばれるクリニック
:クリニック経営ガイドライン

● なぜ、あなたは結婚できないのか?
医者が教える幸せな結婚

● 医者が教える病院・
医者の選び方

〈記事執筆について〉

皮膚科・内科・泌尿器科などの病気、クリニックの経営、ネット集患、婚活、情報社会の生き方などのテーマで、記事執筆を無償でおこなっています。

【今までの実績】
エムスリー 「1日来院数400人、患者が増えた理由はネットマーケティングの実践」
エムスリー 「自分と他人を一緒にしない 失敗の連続から学んだスタッフ管理術」
Qlife 「自分の身は自分で守ろう。これだけは知っておきたい「性感染症」の話」
J-CASTニュース 「紅茶がインフル予防に識者から懐疑論」

〈講演会やセミナーの依頼について〉

クリニックの経営、ネット集患、婚活、情報社会の生き方などのテーマで、講演会やセミナーを無償でおこなっています。

【今までの実績】
船井総合研究所「クリニック研究会
セミナーズ 「ドクターズ経営講座セミナー」
Antaaアカデミア 「第1期 開業後マーケティング」
一般社団法人日本メディカル経営支援協会 「効果のあるネット集患の方法」
IQVIA 「地域患者から”求められる” クリニック経営論セミナー」
サクサポ開業塾 「来院患者数1日400人のクリニック院長が経営のノウハウを公開」

〈趣味〉

・医療SEO
・情報収集(ネット・本)
・情報発信(ネット・本)
・情報社会のテクノロジー研究
・ソフトバンクグループ推し
・婚活研究
・選挙ウォッチング:NHKから国民を守る党(支持しているわけでありません)

〈好きな食べ物〉

・焼肉
・寿司

■ 蓮池林太郎のヒストリー

蓮池林太郎のヒストリー

1. 「1200gで誕生、生死をさまよう」

東京女子医科大学病院にて、1280gの極小未熟児で産まれました。産まれてからから何ヶ月も保育器の中で育ち、両親も大変心配したそうです。

当時は今よりも医療技術が発達していなかったため、「命の危険もあり、生き延びても網膜症などの後遺症が残るかもしれない」と言われたようですが、無事障害もなく育ちました。

□ 祖母に育てられた幼少期

幼少期は、母が大学病院勤務で忙しかったため、母方の祖母に預けられ、祖母の住んでいた広島で育てられました。原子爆弾で実弟を亡くした話などよくしてくれた記憶があります。

□ アメリカに2年間ほど居住

父のアメリカ留学のため、2年間ワシントンで過ごしました。当時は英語を話していたそうですが、帰国したらすぐにしゃべれなくなりました。帰国して直ぐに母親が板橋区で眼科を開業したたため、板橋区への転居に伴い、地元の区立徳丸小学校に入学しました。

□ 本当に辛かった中学受験

中学受験をするために、小学校四年生くらいから塾通いが始まりました。母は大変厳しく、テスト悪い点数を取ってしまったら怒られるのが怖くて、マンションのゴミ箱やトイレに流して捨ててしまったこともありました。

兄は筑駒中学に入学していたので、「なんで同じように育てて教育しているのに、成績が伸びないのだろうか」と相当悩んだことでしょう。この頃のトラウマがあるので、電車とかで塾帰りの子供を見るとなぜか切なくなります。そして、勉強ができなくて怒りまくっているお母さんとか見ると、「教育をあなたが勉強しなさい」と憤りを感じます。怒りまくって成績が伸びるほど、子供に勉強させるのは甘くありません。

勉強が嫌でたまらないのに、やらされている辛さは、勉強のできる、勉強が好きな人達には決してわからないでしょう。今でも悪夢にうなされることもあります。自分のような思いをさせたくはないので、子供の教育の研究もしています。開業医など医者に子供をしなくてはいけない家庭の子供のプレッシャーは強く、勉強ができなかったら、悲惨です。

自分と同じように子供が能力(記憶力×継続力)があるとは限りません。例えば、偏差値60の父親と偏差値60の母親の間の子供の平均偏差値は60ではなく、55前後なのですから、自分達よりも勉強ができないのが当たり前くらいに思っておいた方がいいかもしれません。

2. 「バイトに明け暮れ、
一人暮らししていた高校時代」

なんとか、四谷大塚偏差値55くらいの私立城北中学校に入学しました。中学ではスラムダンクの影響で、バスケットボール部に入っていました。

高校時代は、激動の3年間でした。私は中学校の頃は成績も良く、特別進学クラスでしたが、高校生になり徐々に自我が目覚めたせいか、親や学校の先生に反抗するようになりました。

□ ボクシングやバイトにハマる

高校一年生の頃からボクシングジムに通い、ボクシングはめちゃくちゃ弱かったですが、世界戦を二度挑戦した東洋太平洋チャンピオンの三谷大和さんに可愛がっていただき、付き人をさせてもらい、プロの世界を教えてもらいました。

高校にもあまり行かなくなり、コンビニの店員、ファミレスの皿洗い、カラオケの店員などのアルバイト生活をして、夏休みなどは20万円くらい稼いでいました。

□ カラオケのキャッチでトップに

特に、得意だったのが、池袋西口でのカラオケ歌広場のキャッチの仕事でした。社会人のキャッチと比べても、ぶっちぎりのトップで、社員さんに「君は、将来大物になるよ」とおだてられたこともありました。

カラオケのキャッチのコツは、カラオケは必ず2人以上で行くので、決定権がありそうな人に、「カラオケ行かれますか?」など質問をします。そうすると、カラオケに行く人かどうかが反応である程度わかります。もし行かなそうなら、すぐに別の人に話しかけに行くのです。成績が悪い人は、カラオケに行く気があまりない人を粘るのですが、それより別の歩いている人に行った方が効率が良いのです。

運動量も大事で、話しかける人数が多ければ多いほど、カラオケに行くつもりの人に出会えるわけです。商売やビジネスではコツを掴むこと、闇雲に頑張るのでなく、戦略を持つことが大事であることを学びました。その反面、当時両親とは仲が悪く(今はいいです)、独り暮らししていたアパートから通う始末で、大学生の男友達の家で朝まで飲んでて、タクシーで高校に行くときもありました。

□ 高校二年生で中退しかけ、恩師に救われる

進学校であったことから、学校を休む人もおらず、一人完全に浮いていました。他のクラスの知り合いからは、「まだ高校辞めてなかったんだぁ」と皮肉られる始末です。

高校一年生の時の恩師である大庭先生から毎朝のように電話をいただいたり、夕ご飯をご馳走してもらったりして、学校に来るように促していただきました。成績や出席日数などでも、他の科目の先生とも交渉してくださり、どうにか高校三年生のときに進級することができました。大庭先生がいらっしゃらなければ、高校を中退していたかもしれません。

今でも、不良な従業員が問題を起こすと、トラブルを起こしていたこの頃の自分を思い出して、世の中色々な人がいるから致し方ないなと自分を慰めています。

□ 社会の厳しさを知る

ボクシングの付き人やバイト生活などの社会経験をしてみて、高卒で働くとなると、正社員となったとしても、給料も高くなく仕事も限られていることがわかりました。そこで高校三年生になり、「心を入れ替えて真面目に勉強して生きていこう」と一念発起したわけです。

仕事の本なども買ってきて、色々な仕事について勉強しました。本を読むのが好きだったので、「小説家になるには」という本を読んで、小説家に、カラオケのキャッチの成績がよかったので、不動産や証券会社などの営業マンになることを考えてましたが、向いているかはわかりませんでした。

「人の役に立って、お金を貰えて、感謝される仕事はなかなかないのではないか」と、「お医者さんになったら女の子にモテるのではないか」という不純な気持ちもあり、医学部を目指すことになりました。

予備校にも行かず、一人暮らしをしながら孤独に勉強していました。今思うと自分なりの勉強法で、効率的な勉強法を知ることもなく、あまり成績が伸びず苦しい時期も過ごしましたが、現役で帝京大学医学部に入学することができました。

3. 「医学部では、試験対策のコツを掴む」

帝京大学医学部に入学して、バラ色の医学部生活が待っているかと思いきや、厳しい試験が待っていました。

私が入学したときは、一年生は、120人でしたが、進級試験で毎年20人から30人前後が留年していたため、留学せず6年間で卒業できたのは、半分くらいでした。毎年留年する人数が決まっているとも言われており、その分皆も死に物狂いで勉強してくるので、本当に過酷でした。

一度留年すると、同級生がいなくなり、より孤独になるのがとても怖かったです。なにより、高校時代挫折を味わった自分としては、これ以上両親を悲しませたくないという気持ちでいっぱいでした。留年すると、「医師としての社会的信用、将来の稼ぎ、そして親兄弟周りの人間からの信用を失う」という強迫観念が私の心を支配しました。

□ 過去問屋をして、情報のハブに

医学部受験はあまりうまくいかなったので、どうしたら留年しないですむか考えに考え抜きました。

帝京大学医学部は、今はより難しいですが、当時でもMARCH前後の難易度がありましたので、そこに入学してくる同級生も努力していました。同じように必死で勉強しても差がつかず、忍耐力のない自分には不利だとも考えていました。

そこで考えついたのが、「過去問屋」になる作戦でした。進級する人と留年する人の違いを研究したのですが、過去問や資料がない人は留年していました。医学部の授業では多くのことを学ぶのですが、覚えることが膨大すぎて全てを覚えることはごく一部の天才以外不可能です。過去問や資料で勉強することが必須になるわけなのですが、当然販売されているわけではありません。

そこで私は、家に業務用のコピー機を購入して、先輩からもらった過去問をコピーして、入手しにくい過去問や稀少な資料を持っている有力な同級生に無料であげます。その代わり、有力な同級生からは、稀少な資料をもらうわけです。それを何人かに繰り返すと資料がなんでも揃うようになりました。 良質な資料を持っているので、皆同級生が優しいのです。自分に資料が回らなくなるのが嫌なので、私にはあまり嫌われたくないと思っていたでしょう。

こちらが毎回資料を提供するだけの人には、疎遠になりますし、逆にいい資料を提供してくれる人とは、懇意になります。それらの資料があると、本当に効率よく点数が取れます。毎年のように同じ問題を出す先生ばかりなので、お陰で毎回成績が良く、留年することなく医者になれました。

4. 「学生時代から開業医を目指す」

医学部五年生、六年生となり、医師としてのキャリアを考える時期になりました。その点については、両親の影響が大きかったように思います。

父は大学病院産婦人科の教授、母はクリニックの眼科の開業医でした。両親の話など聞いていると、結論としては、医者は「将来は、開業医になる」ということでした。

□ 医者は開業医になる

多くの医者のキャリアは、3パターンがあります。

⑴ 医局に入り、専門医を取得して開業する。

⑵ 医局に入り、教授を目指して、大病院で働いて、途中で開業する。

⑶ 医局に入り、教授を目指して、大病院で定年退職まで働いて、その後に開業する。

結局開業することになるのであれば、若い体力のあるときに開業して、最悪、患者さまが来なくても、夜遅くまで診療したり、土日も働いたりすればどうにかなるだろうと計算することができました。

□ 医療ミスが起こりにくい理由

医師の友人には、「すぐ開業して経験が少ないのに医療ミスとか怖くなかった?」と聞かれるのですが、医療ミスが起こりにくい、いくつかの根拠がありました。

⑴ 救急病院でバイトしている方がよっほど危険

後期研修医は、給料が安いこともあり、救急病院で当直や日直のバイトをしています。一人で当直している方が重症な患者さまが運ばれて、医療ミスで死亡する率が数百倍高いということがわかりました。

⑵ 開業医の先生と比べて、自分の方が知識があった

病院で働いていると、開業医の先生の診療内容を見ることができますが、不適切な診察や時代遅れの古い医療をおこなっている開業医もいます。医局にいるときは自分の専門領域しか勉強していないので、開業医をしていると、他の領域が手薄になるのも致し方ないのかもしれません。ネットに繋がったことでより多くの医療情報を得ることができるようになったのも大きいかもしれません。

⑶ 安全性の高い地域や科目を選ぶことが重要

住宅街よりもオフィス街の方が医療ミスを引き起こす可能性は低いといえます。住宅街は、高齢者で歩くのもままならない重症な患者さまが紛れ込んでいますが、オフィス街は、65才以下の比較的若く通勤電車に乗ることができる人でないと来れず、比較的軽症な患者さまになります。当然、オフィス街の方が大きな医療ミスを起こしてしまう確率は少ないことがわかりました。

□ 初期研修と開業するまで

初期研修は、様々な科目を勉強できて、土曜日と日曜日が休みの国立精神神経センター国府台病院を選びました。その後、国際医療福祉大学三田病院皮膚科で皮膚科を教えていただき、1年ほどクリニックで勤務医をして、新宿駅前クリニックを開業しました。

開業する勤務医の先生は、色々なクリニックで一度修行することをおすすめしています。大病院とクリニックでは、大きく異なりますし、クリニックによって患者層や診療スタイルが異なります。なによりも、看護師や医療事務などの決して院長には見せない従業員の本音を知ることができます。

新宿駅前クリニックでも医師の求人をおこなっていますので、お気軽にお問い合わせください。

医師の求人ページへ

5. 「28歳で大都会新宿で開業」

開業するにあたり、都内のオフィス街のある大きな駅を調査しました。新宿を選んだ最も大きな理由としては、新宿が好きだったからです。日本いや世界最大の乗降客数を誇る新宿は、美味しい飲食店もあり、どこにいくのも便利です。ちなみに、今でも新宿に住んでいます。

「新宿 内科」「新宿 皮膚科」などのキーワードの検索ボリュームから医療ニーズがあり、周りの開業医の先生方は、ネット対策に力を入れて評判が良いものの、比較的高齢である点なども大きな要素がありました。

最初は、大都会新宿にて、雑居ビル2階の10坪、看護師なし、医療事務1名から始めました。

□ 初日は32人、5年目には400人の来院

開院初日は、1日32人の来院がありました。今でも初日の感動は忘れることができません。このまま順調にいけば、「1日80人くらいの患者さまを診て、70歳くらいまで働いて、引退後は悠々自適な生活を送り、そして死を迎える」そのようにも考えていました。

「ある意味平凡かもしれないけど、それも自分の選んだ人生で素敵ではないか」とも納得はしていました。ところが予想に反して、想定していたよりも市場が大きく、ネット集患がうまくいって、3年目には300人、5年目には400人を越えて、来院いただけるクリニックになりました。

6年目以降は、ネットマーケティング、その中でもSEOの結果により、来院患者数は前後はありましたが、概ね安定していました。苦労した点は、集患よりも人事、人の問題でした。本当に毎日のように色々なことがあり、勉強の連続でした。お陰さまで法律の知識など随分詳しくなりました。

現在では、常勤医師5名、非常勤医師も複数雇用して、働く忙しい人に役立つクリニックを目指して、クリニックを経営しています。開業を目指している先生や、開業医の先生向けにノウハウを広めたく、ホームページにクリニックの経営について書きました。

クリニック経営の教科書ページへ

2017年にはクリニック経営のノウハウ本を出版しました。

「患者に選ばれるクリニック
:クリニック経営ガイドライン」

また、仕事柄、多くの患者さまや知人から、病院を紹介してほしいという要望があります。相談内容を聞いても、残念ながら、多くの人が医者選びにおいてピントがずれています。医学生、研修医、勤務医、開業医で培った知識と経験、ネット力を生かして、医者目線で病院選び、医者選びについて、ホームページに掲載してあります。よかったら、ご参考にしてください。

間違いだらけの病院選びのページへ

□ 医療SEOの専門家を目指して

今現在、私よりも診療能力が高く、人柄の良い優秀な医師を招聘することができるようになりました。私は、ドクターが体調不良などで休んだときに、臨時で診療するくらいで、当院の生命線であるネット集患の研究をおこなっています。

最初はクリニックのためにやっていましたが、楽しくなってきて、他業種が集まる最先端のSEOセミナーに参加したり、あまり詳しくない開業医の先生方向けに自分が講演をしたりと、趣味のようになってしまいました。

2017年12月以降、グーグルが頻繁にアップデートをしていることもあり、グーグルのアップデートでホームページの順位が下落してPVが減り、困っている先生方から相談をよく受けるようになりました。

私の運営する新宿駅前クリニックのホームページもグーグルのアップデートで、月間50万PVから月間5万PVに激減して、新規患者さま数が3分の2くらいに減ってしまったこともあり、その辛さ苦しさもわかります。

病院やクリニックのホームページを分析して、「こうした方がいいですよ」と、ドクターにお話ししていると、ドクターのドクターになった気がして、少し変な気持ちになりますが、大変やりがいのある趣味です。今後は、ネット集患、その中でも「医療SEOの専門家」として研究を続けていく方向性です。もし、グーグルのアップデートでお困りの先生やウェブ担当者の方はお気軽にお問い合わせください。

6. 「自分の結婚のために婚活を研究」

私は、2014年に34才で結婚しました。「現在は子供が3人いて、幸せな家庭を築いています」といいたいところですが、妻には苦労をかけつつ、どうにか頑張ってもらってます。

私は、婚活研究が趣味なのですが、「婚活は医療と関係ないのに、なんで結婚相手の選び方を研究しているのか?」と不思議がられることもありますが、それには理由があります。結婚する前は、友人からは「40才くらいまで結婚しなそう」と言われていましたが、私自身30代になり、クリニックも安定し、子供が欲しかったこともあり、結婚を考えるようになりました。

いざ結婚を考えてみると、周りの友人や知人を見ていると、うまくいかずに離婚したり、夫婦仲が悪くギスギスした家庭を築いていたり、結婚しても幸せな人生をおくっていないこともありました。結婚がうまくいかないと、50年ほどの残りの人生において、大きな苦しみが待っている可能性があるため、どうにかそれは避けたいと考えました。

□ 結婚相手の選び方を研究

「どのように人と出会えばいいのか」そして、「どのような人と結婚すればいいのか」を研究することにしました。ネットや本から情報収集するだけでなく、実際に様々な出会いの場にも行きました。幸せそうな家庭を築いている先輩ドクターに相談したり、結婚相談所の婚活アドバイザーに取材したりしました。

自分が主宰者となって、友人、知人独身で結婚願望のある男女計50人ほどの会を開いていたこともあり、客観的にも婚活について分析することができました。

わかってきたこととしては、多くの男女は外見やお金で異性を判断していることに気づき、本来結婚するべき人と結婚していない現実がありました。世の中で最も軽んじられているのは、「結婚相手の選び方」であるといえます。

キャッチ、試験対策、ネット集患などと同じようにノウハウがあるのだから、それを伝えたいという気持ちが強くなり、婚活のノウハウをまとめました。

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2018年には、書籍として出版することになりました。

「なぜ、あなたは結婚できないのか?
医者が教える幸せな結婚」