プロフィール

蓮池 林太郎Rintaro Hasuike

〈経歴〉
2006年 帝京大学医学部卒業
2006年 国立精神神経センター国府台病院 (現、国立国際医療センター国府台病院) 臨床研修
2008年 国際医療福祉大学三田病院 勤務
2009年 新宿駅前クリニック開設

当サイトでは、書籍やネットで収集した優良な情報に医師としての経験を通じて得た知見を交え、発信しています。

取材協力、記事執筆、講演会、個別相談は無償で承っております。お気軽にご連絡ください。

〈問い合わせ先〉

・メールアドレス:catdog8461@gmail.com

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当サイト内では商品や情報商材の宣伝・販売・あっせんは行っておりません。またお問い合わせに対するご回答以外の営業メールなどをお送りすることもございませんので、ご安心ください。

■ 蓮池林太郎の詳細情報

蓮池林太郎の詳細情報

医療法人社団SEC理事長

新宿駅前クリニック院長

〈著者〉

● 『患者に選ばれるクリニック
:クリニック経営ガイドライン』

● 『なぜ、あなたは結婚できないのか?
医者が教える幸せな結婚』

● 『医者が教える病院・
医者の選び方』

● 『新型コロナを
乗り越える』

● 『これからの時代の
幸せな生き方』

● 『競合と差がつく
クリニックの経営戦略』

● 『Google店舗集客ガイドブック』

● 『これだけは知っておきたい
「性病」の症状と予防法』

〈記事執筆について〉

無償で寄稿いたします。お問い合わせください。

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なお、主に以下のようなテーマについて執筆が可能です。

●病気について
 ・皮膚科
 ・内科
 ・泌尿器科
●クリニックの経営
●ネット集患
●婚活
●情報社会の生き方

【今までの実績】
エムスリー 『1日来院数400人、患者が増えた理由はネットマーケティングの実践』
エムスリー 『自分と他人を一緒にしない 失敗の連続から学んだスタッフ管理術』
コロナ禍で患者が半減した病院の実態を医者が自ら解説してみた
コロナ患者を受け入れる病院が赤字になる理由
幻冬舎ゴールドオンライン 著者紹介

〈講演会やセミナーの依頼について〉

クリニックの経営、ネット集患、婚活、情報社会の生き方などのテーマで、講演会やセミナーを無償でおこなっています。

【今までの実績】
株式会社船井総合研究所『クリニック経営研究会』
セミナーズ『ドクターズ経営講座ワンデーセミナー』
日本医療企画『ポストコロナのクリニック経営戦略セミナー』

〈趣味〉

・情報収集(ネット・本)
・情報発信(ネット・本)
・婚活研究
・幸せな生き方研究

〈よく行く飲食店〉

・常連で通っている居酒屋
居酒屋ふらっと
・食べ放題・飲み放題のしゃぶしゃぶ 
モーモーパラダイス 歌舞伎町本店
・お好み焼き もんじゃ焼き
お好み焼き 鉄板バル ぎおんぼう

高級店は嫌いでコスパ重視です。
相談を受けるときもよく行く飲食店を利用しています。

〈生年月日〉

1981(昭和56)年8月3日(しし座)

〈メディア情報〉

youtubeチャンネルに出演いたしました。

タイトル:
軌跡の向こう側 Crossroads of life Vol.13 『新宿駅前クリニック 院長 蓮池 林太郎(はすいけりんたろう)』~人生の岐路を聞かせてや!~

■ 蓮池林太郎の現在

医療SEOの専門家を目指して

現在、私よりも診療能力が高く、人柄の良い優秀な医師を招聘することができるようになりました。私が診察に当たるのはドクターが学会出席のため欠勤したときなどの臨時のみ。就業時間の多くを当院の生命線であるネット集患の研究に費やしています。

最初こそクリニックのためでしたが、研究自体が楽しくなってきて、他業種が集まる最先端のSEOセミナーに参加したり、みずから開業医向けに講演をしたりと、今では趣味の一環としておこなっています。

これが口コミで広がり、ネット集患に困っている開業医から相談を受けるようになりました。

昨今のグーグルの頻繁なアップデートは、私の経営する新宿駅前クリニックのホームページにも多大なる影響を及ぼしています。月間50万PVで安定していたアクセスが一時は10分の1にまで落ち込みました。これに伴い、新規患者数は約3分の2に。

だから私も、ネット集患に困っている開業医の辛さ苦しさが痛いほどわかります。

今後もネット集患に特化した「医療SEOの専門家」を目指し、研究を続けてまいります。お困りのことがございましたら、無償でおこなっていますので、お気軽にお問い合わせください。

■ クリニックの開業支援

開業をお考えの先生にクリニックの開業支援(立地の選び方、ネット集患などを中心に)を、趣味の範囲内になりますが、無償でおこなっています。

中立的な立場でアドバイスがしたいので、特定の会社を紹介することもありませんし、どちらの会社からも紹介料などはもらわないようにしていますので、ご安心ください。お気軽にお問い合わせください。

■ 蓮池林太郎のヒストリー

蓮池林太郎のヒストリー

1. 誕生 ~未熟児で生まれ、生死の境をさまよう~

東京女子医科大学病院にて、1260gの極小未熟児で生まれました。

生まれてから何ヶ月も保育器の中で育ち、両親も大変心配したそうです。

当時は今ほど医療技術が発達していなかったため、「命の危険もあり、生き延びても網膜症などの後遺症が残るかもしれない」と言われたようですが、無事障害もなく育ちました。

祖母に育てられた幼少期

両親ともに大学病院(父は産婦人科、母は眼科)の勤務医で非常に忙しかったため、広島に住んでいる母方の祖母のもとで幼少期を過ごしました。

原子爆弾で実弟を亡くした話などよくしてくれた記憶があります。

約2年間のアメリカ生活

当時大学の医局員であった父のアメリカ留学のため、一家で渡米。4歳から6歳までの2年間、ワシントンで過ごしました。両親によれば、当時の私は英語を話していたそうですが、幼かったため覚えていません。残念なことに帰国したらたちまち話せなくなったと聞いています。

本当に辛かった中学受験

中学受験に備えるためと、小学校4年生のころ塾に入れられます。母は大変厳しく、テストの点数が悪いと烈火のごとく怒りました。あまりの怖さに、答案用紙をマンションのゴミ箱に捨てる、トイレに流すなどして証拠隠滅を図ったこともあります。

兄は私と違って成績が良く、日本国内最難関と言われる筑波大学附属駒場中学校に通っていたため、「なんで同じように教育を受けさせているのに林太郎だけ成績が伸びないのだろう」と両親は悩んだことでしょう。

大嫌いな勉強を強制される辛さは、勉強のできる、勉強が好きな人たちには理解できるはずがありません。

私立城北中学校に入学

なんとか四谷大塚偏差値55くらいの私立城北中学校に入学しました。このころの私は成績も良く、特別進学クラスでした。

選んだ部活はバスケットボール部。スラムダンクの影響をモロに受けていました。

2. 高校時代
~ボクシングとバイトに明け暮れる~

高校に進学すると、それまで溜めていたうっぷんを晴らすかのように、親や学校の先生に反抗するようになりました。

ボクシングとバイトにハマる

高校1年生のころからボクシングジムに通っていました。ちっとも強くはなれませんでしたが、世界戦に2度挑戦した東洋太平洋チャンピオンの三谷大和さんにかわいがっていただいたことは今でも忘れられない思い出です。

三谷さんには付き人をさせてもらい、プロの世界を教えてもらいました。

また、このころから高校を休みがちになり、アルバイトざんまいの生活に。コンビニの店員、ファミレスの皿洗い、カラオケの店員などさまざまなアルバイトをして、夏休みなどは20万円くらい稼いでいました。

カラオケのキャッチでトップに

従事してきたアルバイトの中で特に力を発揮できたのは、カラオケのキャッチの仕事でした。社会人のキャッチと比べてもぶっちぎりのトップで、社員さんに「君は将来、大物になるよ」と褒められたこともあります。

アルバイトざんまいの高校生活を通じて、商売やビジネスではコツを掴んで戦略的に動くことが重要なのだと学びました。

高校2年生のとき中退しかけるも恩師に救われる

進学校であったことから、学校を休む人はおらず、欠席の多かった私は完全に浮いていました。他のクラスの知り合いからは、「まだ高校辞めてなかったんだぁ」と皮肉を言われる始末です。

1年生のとき担任だった大庭先生が心配して毎朝のように電話を下さいました。夕ご飯をご馳走してもらったことも1度や2度ではありません。成績や出席日数などについて他の科目の先生と交渉してくださり、どうにか進級することができました。大庭先生がいらっしゃらなければ高校を中退していたかもしれません。

従業員が問題を起こすと、トラブルばかり起こしていた高校時代の自分を思い出し、世の中いろいろな人がいるから致し方ない・・・と自分を慰めています。

社会の厳しさを知る

ボクシングの付き人やさまざまなアルバイトなどの社会経験を通して、高卒で働くとなると、正社員になれたとしても高い給料は望めないこと、そのうえ仕事が限られてしまうということを学びました。

この経験と学びから「心を入れ替えて真面目に勉強しよう」と一念発起したのが高校3年生のときでした。

仕事に関する本を購入し、さまざまな職業について勉強しました。本を読むのが好きだったことから『小説家になるには』という本を読んで小説家になることを考えたり、カラオケのキャッチの成績が良かったことから不動産や証券会社などの営業マンになることを考えたりしました。しかし、そのどちらも、自分に向いているかどうかはわかりませんでした。

そののち、「人の役に立って、お金を貰えて、感謝される仕事」は医師以外にないのではないかという考えと、「お医者さんになったら女の子にモテるのではないか」という不純な気持ちから、医学部を目指すことに決めました。

予備校にも行かず、一人暮らしのアパートで孤独に勉強しました。自分なりの方法で勉強していたため、効率は悪く、成績が伸び悩んで苦しい時期も過ごしたものの、それでも現役で帝京大学医学部に合格しました。

3. 医学部時代 ~試験対策のコツを掴む~

帝京大学医学部に入学すればバラ色の医学部生活が待っている!

・・・かと思いきや、私を待っていたのは厳しい現実でした。

入学時、同級生は120人いましたが、留年せず6年間で卒業できたのは約半分の60人くらいでした。恐ろしく難しい試験で、毎年20~30人を留年させていました。

留年する人数は決まっているとも噂されており、皆も死に物狂いで勉強するので、本当に過酷でした。

ひとたび留年しようものなら同級生がいなくなり、年下の医学生たちと一緒に勉強することになります。そんな悲しい事態は何としても避けねばなりません。また、高校時代に挫折を味わった自分としては、これ以上、両親を悲しませたくないという気持ちでいっぱいでした。

留年すると、医師としての社会的信用、将来の稼ぎ、親兄弟や周りの人間からの信用、これらすべてを失ってしまうという強迫観念が私の心を支配しました。

過去問屋をして、情報のハブに

医学部受験はあまりうまくいかなったので、どうしたら留年しないですむか考えに考え、考え抜きました。

帝京大学医学部は当時、MARCH前後の難度(※)でしたので、そこに入学してくる同級生も努力していました。同じように必死で勉強しても差がつかず、忍耐力のない自分には不利だとも考えていました。

そこで考えついたのが「過去問屋」になる作戦でした。進級できる人と留年する人の違いを研究し、過去問や資料を持たない人は留年する傾向があることを発見したのです。

医学部の授業では多くのことを学びます。覚えるべきことがあまりに膨大で、天才でもなければ全てを覚えることなどまず不可能。過去問や資料で勉強することが必須というわけですが、これらは当然、販売されていません。

そこで私は、家に業務用のコピー機を購入しました。先輩からもらった過去問をコピーし、入手しにくい過去問や稀少な資料を持っている有力な同級生に無料で提供します。その代わりに、有力な同級生から稀少な資料をもらうわけです。何人かの同級生を相手にこれを繰り返すうち、どんな資料でも揃えられるようになりました。

良質な資料を持っていたため、同級生は皆、私に優しくしてくれました。自分に資料が回ってこなくなると困るので、私に嫌われたくなかったのでしょう。

毎回こちらが提供する資料を受け取るだけの人とはだんだんと疎遠になります。逆に良い資料を提供してくれる人とは懇意になります。それらの資料があると本当に効率よく点数が取れるのです。毎年のように同じような問題を出す先生ばかりなので、いつも成績は上々でした。

留年することなく医師になれたのも、「過去問屋」「情報のハブ」に徹した努力のたまものと言えます。

※MARCHとは、明治(M)・青山学院(A)・立教(R)・中央(C)・法政(H)の5大学を指します。そして現在、帝京大学医学部の入試の難度はさらに上がっているようです。

開業医を目指した医学生時代

医学部5年生、6年生となり、医師としてのキャリアを考える時期になりました。その点については、両親の影響が大きかったように思います。

大病院の勤務医よりも開業医の方が向いていることは自分でもわかっていましたので、医学生時代から開業すると決めていました。

4. 初期研修から開業まで

初期研修には、さまざまな科目を勉強させていただける国立精神・神経センター(現 国立国際医療研究センター)国府台病院を選びました。その後、国際医療福祉大学三田病院の皮膚科で研修を受け、約1年クリニックで勤務したのち、新宿駅前クリニックを開業しました。

なお、開業する予定のある勤務医には、専門の異なる複数のクリニックで修業することをおすすめしています。大病院とクリニックでは医療機器が大きく異なりますし、クリニックによって患者層や診療スタイルが異なります。なによりも、決して院長には見せない従業員(看護師や医療事務など)の本音を知ることができます。

新宿駅前クリニックでも勤務医を募集しております。お気軽にお問い合わせください。

医師の求人ページへ

5. 28歳のとき大都会新宿で開業

開業するにあたり、都内でオフィス街のある大きな駅を調査しました。

「新宿 内科」「新宿 皮膚科」などのキーワードの検索ボリュームから、医療ニーズがあることがわかっていました。また、周辺の開業医の先生方はネット対策に力を入れていて評判が良いものの、比較的高齢である点も大きな要素でした。

新宿の雑居ビル2階にある10坪のテナントにて、看護師なし、医療事務1名の状態で開業しました。

ただ、新宿を選んだ最も大きな理由は、新宿が好きだからです。世界最大の乗降客数を誇る新宿駅は、美味しい飲食店が多く、どこへ行くにも便利。現在も新宿に住んでいます。

初日は32人、5年目には1日400人が来院

開院初日は32人の来院がありました。あの感動は今でも忘れることができません。

「このまま順調に患者数を伸ばし、ゆくゆくは1日80人くらいの患者さまを診るようになる。そして70歳を過ぎたら引退して悠々自適な生活を送り、穏やかに死を迎える」

そのように考えていました。

「平凡かもしれないけど、それも自分の選んだ人生。素敵ではないか」と納得していました。

ところが、想定していたよりも市場が大きく、またネット集患がうまく行き、3年目には1日300人、5年目には1日400人以上の患者さまにご来院いただけるクリニックになりました。

6年目以降は、ネットマーケティング、殊にSEO対策が功を奏し、来院患者数は概ね安定しています。

苦労したのは集患よりも人事。人の問題です。毎日のようにトラブルが発生し、勉強の連続でした。お陰で法律にも随分詳しくなりました。

開業医のための労務トラブル対策にページへ

現在では常勤医師5名と複数の非常勤医師を雇用し、働く忙しい人に役立つクリニックを目指して経営しています。

開業を目指している医師や開業医にノウハウを広めたく、クリニックの経営についても執筆しております。

クリニック経営の教科書ページへ

2017年には、クリニック開業志望の医師や開業医向けにクリニック経営のノウハウ本を出版しました。

『患者に選ばれるクリニック
:クリニック経営ガイドライン』

2021年には、「患者に選ばれるクリニック」と内容が重複することなく、 ネット集患(SEO、MEO、広告、口コミ)を中心に、事業拡大、労務トラブル対策など、開業医やクリニック経営にたずさわる方向けに出版しました。

『競合と差がつく
クリニックの経営戦略』

今までに多くの開業医の先生から経営相談を受けてきましたが、苦戦しているクリニックには、ある共通点があることに気づきました。それは、立地の選び方を間違えているということです。

開業前の先生が立地の選び方を間違えて苦戦しないように、クリニックの立地戦略について執筆しました。

クリニック立地戦略の教科書のページへ

ネットマーケティングの知識や経験を生かして、店舗のオーナーや店舗のウェブ担当者向けに、グーグル検索やグーグルマップで上位表示させるためのノウハウを書籍にしました。

『Google店舗集客ガイドブック』

また、医療関係者ではない方向けに、病院や医師の選び方の情報発信もおこなっています。

間違いだらけの病院選びのページへ

2020年には病院や医者の選び方の本を出版しました。

『医者が教える病院・医者の選び方』

6. 自分の結婚のために婚活を研究

クリニックの経営が安定すると、次第に結婚について考えるようになりました。

あらためて周りを見てみると、結婚生活がうまくいかず離婚してしまった夫婦や、仲が悪くギスギスしている友人夫婦、結婚しても幸せな人生を送っていない知人が少なくありませんでした。

そうした状況は何としても避けたいと考え、自分の結婚のために婚活の研究を始めました。

その甲斐もあって私は良縁に恵まれ、2014年に34歳で結婚しました。現在は子どもが5人います。

幸せな結婚をするためには相手選びが重要です。婚活のノウハウを執筆しておりますので、ぜひ参考にしてください。

幸せな結婚相手の選び方のページへ

2018年には、書籍として出版することになりました。

『なぜ、あなたは結婚できないのか?
医者が教える幸せな結婚』


<さいごに>

自分が興味のある分野において、良質な情報を発信し、価値観が近く気が合う人とネットやリアルで交流して、人生を幸せに生きていくために運営しています。
取材協力、記事執筆、講演会、個別相談も無償でおこなっておりますので、なにかお力になれることがあれば、下記の「メールで連絡」からご連絡ください。
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